今日は、親バカなまこりん全開です。
子供のこと、どんどんわからなくなります…。当たり前だけれど、守ってやれなくなる不安て、こんなにも大きいんだと実感。
いつか、これに慣れるのかしら?
この微妙な年頃の息子たちに、親として自分はどうあるべきなのかしら?
手だし口出しできなくなるに連れて、「お母さんはいつでもここにいるよ。」と言うことしかできない自分の無力さを実感しています。
我が家でいつも笑顔の長男。
周りの同級生と比べると、まだまだ幼さが残っています。
でも、これは本当の彼なのかしら?
それともなにかのサイン?
最近、ストレスが溜まってるんだからなんて言葉を吐いたりするようになりました。
気づけば同級生との関わりがどんどん減って、弟やその友達に加えてもらう程度。
クラスの打ち上げの連絡も入らず、孤立してるのではと余計な心配が頭をよぎることもしばしば。
実際に、まだいじめまでは行かないけれど、からかいや意地悪にはよくあっているみたいです。
周りも、度が軽いからか、助け舟を出すでもなく笑いながら傍観しているらしいのです。
彼の話が本当なら、おおごとになる前に顧問の先生に相談するのも手と話し、まずは本人の口から相談するよう促し、もしもそれでも続くなら、話してあげてもいいんだよと言ったら、自分は大丈夫だから、何もしないでと言葉が返ってきました。
私も、中学の時、村八分にされた経験もあるし、誰もわかってくれないと悲観的になったこともあるだけに、見ていて辛い。私に似て何をやっても不器用、どちらかと言えば運動音痴、人にも合わせられない、かっこうのターゲットタイプです。だから尚更心配。
だからこそ、彼に伝えてあげたい。諦めないで!決めつけないで!って。
今はまだ出会っていない運命の出会いが、この先成長して行く中で必ずあるからと。それは、明日かもしれないし、1年先かもしれないけれど必ず巡り会えるということを。
今だって気づいていないだけで、本当は近くにいるのかもしれないということを。
昔、「神様はすべての人に同じだけの喜びと悲しみをお与えになる」と母から言われたことがあります。
この年になり、ようやく、少し意味がわかるようになりました。
これは、今上手くいかないことを僻みながら生きるより、これからやってくるであろう幸せを思うような、前向きな生き方を選ぶことで、心が軽くなるということなのだと。
苦労、気苦労は、次の喜びを迎えるための必要悪であり、意味のあるものなのだと。
今でもあなたは十分優しいし、温かい心を持っています。あなたを理解し、必要とし、大切にしてくれる人との出会いは必ずあります。
だから、あなたは、今まで通り、不屈の心と慈悲の心を忘れず、たくさんの人に愛情を渡してください。
仕返ししないあなたの優しさを、ぐっと堪えているあなたの強さを今は理解できなくても、いつか相手も知ることとなるでしょう。あなたの魅力に気づくでしょう。
そんなことを思いながらも、オロオロしてしまっているダメな母。まだまだ私も発展途上です。
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